ネヘミヤ記 13章1~14節
高松教会 村上貴志
本日は、永眠者記念礼拝です。私たちの教会で、信仰を共に歩み、先に召された方々の事を覚えます。
先日。教会と大島で二人の姉妹を天に送りました。
地上でのお別れは、残された者にとって、大きな悲しみをもたらしますが、神によりて・キリストによりて、大きな慰めも与えられている事を覚えます。
何より、先に行かれた方からいただいた「信仰の養い」これを思い出します。思わされたことは、「語り続ける力」と「聴き続ける力」です。「福音」を「語り続けた」。「主にある喜び。キリストと共に在る喜び。教会での喜び。神の家族・主にある兄弟姉妹方との交わり・喜び。」それを、声を出して、喜び続けた。「イエスさまのお姿」を、語り続けた。それは、必ず耳に入る。心に届く。自然と、「聴き続ける」事となったのです。天における再会を信じて。
◆ネヘミヤの改革 昔とは、異なるイスラエルに。エジプトから導かれた主に回帰する。神と共に。
「罪の力」に負けず。「罪」神さまからの「祝福」を遠ざける力。それと決別する。アンモン・モアブ。異教の神々とは決別する。誤った信仰との決別。
そして、祭儀を大切にする。トビヤの出来事を正す。トビヤの悪は、レビ人たちの糧を奪い取り、彼らをエルサレムから追い立てました。神の言葉を排除したのです。民への祈りも祝福も、遠ざかった。
一人の不信仰が、周りの者に悩みと苦しみを与える事となるのです。ネヘミヤは、その事を正そうとした。改革しようとした。「神さまと共に在る民」であるために。再び、定められた通りに行おうとした。
祈る人と共に生きた。それが、私の思い。「憐れみ深い主よ。それを心に留めてください。覚えていてください。そして、私の願いは、イスラエルを・信仰者全てをお救い下さりますように。」
それが、信仰者の祈り・願いなのです。