ネヘミヤ記 7章60節~8章1節
高松教会 村上貴志
ネヘミヤの願いが適いました。城壁の完成によってエルサレムの平安が訪れたのです。人々が、捕囚から帰還し、戦火より復興し、元の暮らしを取り戻そうと動き始めたのです。リストにあるのは、2千を超す一族。五十名余りの一族。大も小も変わることなく、記載されている。勢力の大きさではないのです。一人ひとりを大切に思われて、神の民としての栄光が現されているのです。人数や実力で無く、 神さまの願いが、ここには、現されているのです。
地上の思いだと、こうはいきません。やはり、力の強い者を上席に。リストの最初の方に。力無い者は、十把一絡げに。切り捨てられてしまうのです。
ルカ14章の二つの宴会のたとえ話を思い出します。前半には、豊かな者ではなく、貧しい者を招待せよと記されております。その人たちは、お返しができないから。その人たちのお返しは、終わりの日に主が報いて下さるから。(大きな希望であります)
後半、招いても招いても、理由をつけて来ない人たちがいる。親しい人なのに。私の事を良く判っている人なのに。その人たちが、来ない。主人は、「固執することは無い。広場や路地に行って、貧しい人や不自由を感じている人を、招いて来なさい。」
席は空いている。この恵みを空席にしないように。いえ、結果として、招かれた者は一人も来ず、広場や辻で声を掛け、直ちに喜びに与った人のみが、この祝宴に着く事になる。積み重ねや過去の実績ではないのです。今!喜びの声の主(ヌシ)を見つめ、直ちに集う者が、良しとされるのです。
過去に遠慮する必要は無い。信じる人の神さまなのです。「全ての人に」どなたでも。
そこに集う人は、神さまの御手の内にいる人。 大いに喜べ!11節「悲しんではならない」 「悲しむな」それが、神さまの愛なのです