高松教会 村上貴志
ネヘミヤ記 5章1~13節
エルサレムでの尊い奉仕。人々は税や飢饉に苦しみました。畑よりも城壁・奉仕を優先したからです。本来のイスラエルは、持つ者が、持たざる者に、分け与えた。なぜなら、それらは、全て、神さまからいただいた物だったからです。ヨブ記で誰しもが印象に残っている言葉。【ヨブ1:21】無一物で産まれて、神さまに養われた人生。神さまの元に帰る時には、何も手にすることはできないのです。いえ、「感謝と喜び」を携えて。自分が祝されたように、残された人たちも祝福の中で養われるようにという幸せな思い。そんな人の歩みが続くように、一族を大切にしていくのです。(ルツ記2章参照)
一族は、助けあう。貸し借りも【レビ25:36~37】 【出エ22:25】【申命24:6・17】日々の生活においても、必要な物は、質として留め置かない。返す。
借金についても、【レビ記25章】50年。7年に一度、免除される。さらに「利息をとってはならない」(36節)とも記されております。
これに背く歩み。ネヘミヤの時代でした。窮乏を訴える民。それを聞く、ネヘミヤ。しかし、彼も実は、貪る者であったのです。【8節前半】神さまが、買い戻して下さったのに、【8節後半】そんな残念な状況。恥ずかしい。ネヘミヤは、気が付いていなかった。まるで、【ルカ6:42-43】自分は与えないでおいて、人の与えない姿を見て、罵声を浴びせる。
ネヘミヤは、気づいたのであります。神さまからの優しさを十二分にいただきながら、同胞への優しさを忘れていた自分の姿に。【ヨブ1:21】それで、良いではないか。神さまは、自分を愛して下さったように、自分の隣り人をも愛しておられる。
もう一度、8節に目を向けて下さい。
私たちも、イエスさまの命によって、その命を買い戻していただいた者なのですから同胞へのやさしさを実践するのです。