高松教会 村上貴志 使徒言行録28章1~10節 「マムシに注意」その言葉が有るのは、文化離れた場所。そんな所に、流れ着きました。「島の住民」「住民」の意味は、「外人・言葉の通じない人」。パウロたちは、意思疎通も難しい所に、流れ着いた。 ですが、そこで経験した事は、「もてなし」でした。 使徒言行録の著者ルカは、「まだ、聖書の神さまの恵みが伝わっていない所でも、神さまの言葉を宣べ伝えようとするパウロは、もてなされた。・神さまの御支配は、確実である。」と、伝えたのです。 伝道の最初の出来事が、「マムシが、パウロに絡みついた・咬みついた。」それは、本来は、「終わり・死」を、意味する言葉でした。島の人々は、マムシに噛まれたパウロが、間もなく死ぬであろうと思っていました。「何か悪い事をしたから報い・罰が与えられた。難破して、せっかく島に流れ着き助かったのに、気の毒に。」そう思っていました。 ところが、命は、取り去られない。これは、とても大きな出来事でした。「マムシに咬まれて死ぬ」事は、「悪に対して報いられる・復讐する正義の女神 Dikē(ディケー)の働き」だったからです。 そのマムシを火の中に振り落した。投げ入れた。 「復讐の・裁きの死に打ち勝った」島の人たちの驚き。「この人は神様だ」そう結論づけました。拝もうとしました。パウロの話を聴こうとしました。 そう、この一連の出来事は、「パウロが、話をするため。福音を宣べ伝えるため。ローマに護送されている途中であっても、イエスさまの救いをお伝えするために、与えられた喜び」だと、ルカは伝えるのです。【ルカ10:19・4:38-39】主の語られた通り。もてなしは、この先取りでありました。この場所に、神さまの御栄光が現される事は、約束されていた事であったからです。 その約束に神さまは、備えて下さっていたのです。
2020
11Oct