高松教会 村上有子 マタイによる福音書 1:1-17 これは、現存する最古の日本語聖書の表題です。1837年のシンガポールでカール・ギュツラフ宣教師によって訳された「ヨハネによる福音書」の表題です。正確には「ヨハンネス タヨリ ヨロコビ」。 「マタイによる福音書」を開いてみると不親切な冒頭。しかし、誰を対象に書かれたのかを知ると、この系図の見方が変わってくると思います。系図を大切し、旧約聖書を非常によく知っており、その旧約聖書に預言されている救世主(メシヤ)の到来を待ち続けているユダヤ人たちに向けて書かれました。著者はイエスさまの12弟子の1人で、ユダヤ人のマタイと言われています。この系図、ユダヤ人たちにとって好ましくないことも記載。不倫をして子をもうけたタマル(3節)、遊女のラハブ(5節)、異邦人モアブ人のルツ(5節)、ダビデ王が殺した部下ウリヤの妻は、名前も載せられていません(6節)。そして、「エコンヤ」という人物。主はこう言われる。「この人を、子どもが生まれず生涯、栄えることのない男として記録せよ。彼の子孫からはだれひとり栄えてダビデの王座にすわりユダを治める者が出ないからである。」エレミヤ22:30エコンヤが入っていては、メシヤの系図とは言えないのです。しかし、最後まで系図をじっくり見ると、マタイが強調したいことが浮き上がってくるのです。マタイは自分独自の文体でイスラエルの歴史の中にある2つのポイントを強調したかったようです。①ダビデは王位に即位こと、しかし、王位も失われてしまったこと。②イスラエルから王がいなくなってから14代目に、待望の新しい王(メシヤ)が来ること。その人物として、イエスを系図の最後に持ってきたのです。まだこの系図で示したかったことがあったようです。最後の文だけ、女性が産んだ記述になっています。それは、17節以降の記述で分かるのですが、、、マリヤは、聖霊によって身ごもり処女でイエスを生みます。それは、アダムから続く罪の血を継いでいない!ということです。処女降誕の必然性がここにあるのです。イエスさまは、たましいの救い主です。「タヨリ ヨロコビ」がふさわしい理由です。
2020
23Aug