使徒言行録 26:12-18 高松教会 村上貴志 私たちは、どのようなきっかけで信じようとする思いや信仰の歩みが与えられるのでしょうか? パウロにも、イエスさまとの出会いが有りました。使徒言行録では、9・22・26章と三度記されております。(もちろん、出会ったのは、一回です) 26章では、「直接、イエスさまからの声を聞いた。主が召しだして下さった事」について、語るのです。 誰か(アナニア)を通さなくとも。聖霊の導きを通して救い主である事を、感じていたのです。 彼は、神の御子の声を聞きました。【14節】古代ギリシャの格言であります。「主人に逆らう事は、無駄である」軛を負わされた牛が、主人の持つトゲのある棒を蹴とばしたところで、痛い目に合うのは自分自身だ。イエスさまは、イスラエルの日常言葉で教えます。「アブラハム・イサク・ヤコブの神に、真の出来事がある」と、伝えたのです。「神の声を聞け・神に聞き従え」イエスさまは、そう語られたのです。 迫害こそが正しい道だと思っていた者にとって、瞬時に受け入れる事は、難しい。180度の方向転換。 迫害し、反対する事によって、正しい神さまの主権は、守られる。そこから、恵みと祝福が与えられると思っていたにも拘らず、違う道が示される。 神さまを蹴りつけていた者は、何もできないのです。 そのような小さな者に、神さまは、力を与えられます。導きを与えられます。「主よ、…。」神さまを求める者に、力が与えられます。【コリ一12:3】 「主よ」力無い者に、聖霊は、この言葉を与えます。 パウロは、分かったのです。【ガラテヤ1:15-16】 神の御子キリストと出会ったから変わったのではない。人はすべて皆、「産まれる前から、神さまによって選ばれ、召しだされている」神さまがお造りになられた一人一人に確かに与えられている「罪の赦し・体の甦り・永遠の命」が約束されているのです。
2020
19Jul