使徒言行録 14章1-7節
高松教会 村上貴志
今日は、永眠者記念礼拝でした。
先に召された方の愛された方々が、ここに集ってきてくださっております。
今日、ここに集まったのは、召された人を思い出す事だけでは有りません。
召された方が、どのような思いでおられたかを、思い返し、見つける日であります。
ここにお写真の有る方は、信仰を持って、神さまを信じ、自らを見つめ、
イエス・キリストの十字架と復活・救いの御業を信じて、神さまと繋がれた方々です。
そして、その事に、「神さまと共に」この喜びを、思いに抱かれておりました。
「贖われた喜び・救われた喜び」イエスさまが、「全ての人に伝えるように」と、教えられ、命じられました。
だから、弟子たちは、パウロは、教会は、私たちは、この喜びを、伝えるのです。
勿論、今、ここにお写真の有る方たちも、伝えておられました。
その伝える事は、戦いでした。
罪の世界に捕らえられた愛する人たちの為に、戦うのです。でも、…。
その人たちとも世の戦いが有りました。
「救い主がお生まれになった事」をクリスマスに伝え、「十字架の御業」をイースターに伝えました。
しかし、神さまの御業であるから、思いの一致が、必ず、有るかと言うと、そうでは無かった。
それぞれのご家庭で、戦いが有りましたか?
時に、受け入れられなくて、争いが激しくなる事も、有った事でしょう。
ですが、求めていた事は、「主にある平安」。
神さまが、私の愛する人を救って下さると信じる人は、戦わず、逃げる。回避するのです。
神の歓びが、消える事は無いのだから、次の機会に託して。
でも、それは、「必ず」 必ず、私たちの愛する人たちも、導かれる事を信じているからです。
決別は、出来ません。
一時、離れる事も必要です
。次の場所・機会を、待っているのです。
召された今。
その次の場所・機会は、この時(永眠者記念礼拝)だと思うのです。