使徒言行録 13章1-12節
高松教会 村上貴志
神さまとイエスさまは、沢山の弟子たちを立てられました。
様々な賜物を持っていました。
全ての人に伝えるために、あらゆる賜物が、必要とされたのです。
いろいろな、アプローチが必要なのです。
【コリントⅠ12章】に記されている通り。共に苦しみ・喜ぶ。
主の体・主の肢である教会は、様々な人たちを、呼び求め、受け入れる事ができるのです。
そして、その働きは、「全ての人に」で有りながら、「個々の人に」丁寧に備えられていくのです。
この聖書の箇所では、神さまを信じるパウルスに向かいます。
この人を、取り戻すために、神さまは「その独り子の命をも、代価として捧げて下さった。」
神さまを求めるセルギウスの為に、大きな備えをされました。
対岸のアンティオキアの教会から、相応しい人を選び出します。バルナバたち5人など。
「など」他にも、沢山の人が備えられたのです。
たった一人のために、あらゆる賜物・方法が備えられました。
そして、選ばれなかった多くの者も、この業の為に祈りを合せました。
祈りを持って参加しました。
「わたしも、共に!」遠くからであっても、この聞こえない祈りが、働き手を強めたのです。
ですが、働き人と共に妨げる者もおりました。
試みる存在。(主も、荒れ野で試みられました)
しかし、その後に明らかにされる事は、「絶望では無く、信仰である事」を聖書は伝えております。
神さまを信じ、イエス・キリストに救われた者は、必ずその試練を乗り越え、神の栄光を、以前よりはっきりと現すのです。
サウロは、「主のまっすぐな道」【箴言10:9】を、引用して、信仰者の前に立ちはだかる壁に気付かせ、それを取り除こうとします。
神さまは、この一人の信じる者を救うために、「決められた仕事」を、地上で行われます。
私の「決められた仕事は?」
周りに目を向けたいと思うのです。