使徒言行録 6章1-7節
高松教会 村上貴志
イエスさまの福音を宣べ伝える伝道者たちは、ユダヤ教神殿との対立を乗り越えて、全ての人に救いを宣べ伝えようと働き始めます。
すると、この働きの中で、新たな対立が生まれてしまいました。教会の中に複数のグループができてしまったのです。
「正しく仕える・強い信仰」信じる故の過ちが、教会に興りました。 この問題を解決するために。
使徒たちが、御言葉によって、神さまのイエスさまの権威によって、叱責する事・指導する事は、簡単な事であったでしょう。
しかし、「そうしなさい」で、思いが変わるのであれば、そもそも、このような問題は、起こらないのです。
態度で従っても、心が一つにならないと、解決できない事なのです。
よって、使徒たちはこの問題に介入いたしません。
教会に集まる人たちの中から、「“霊”と知恵に満ちた評判の良い人」を、選びました。
彼らが、信仰への生活を整えました。異なる考え・生活風習。古い人・新しい人。
選ばれた人たちの奉仕によって、教会は、生活を一つにしたのです。
それが、使徒たちの願っていた事「一人一人の救いのための働き」に繋がって行くのです。
「全て従うように」ではなく、各々が神さまに繋がる道を自分で経験するために、
「奉仕して下さる人たちの働きに導かれて、自分の思いで、喜びと感謝を受け取るようになるため」に、
このような教会の歩みが与えられたのです。
「主の豊かさに、気づく事」自分で、見つけ出す事、自分のモノとする事が肝要なのです。
導いた人が、素晴らしい人だったのでしょうか?しかし、選びの時には、何の審査も行われません。
使徒たちに委ねられた信仰が委ねられるのです。
「教会が選んだ人」この人に、神の力が委ねられたと伝えるのです。
与えていただいた事を、お捧げする事がイエスさまの喜ばれる教会の姿だと思うのです。