ヨハネⅠ 2章28~3章10節
高松教会 村上貴志
今日は、CS野外学校の予定でしたが台風で中止となりました。中には「残念だ。神さまは、私たちの楽しみにしている心の中を見て下さっているのだろうか?」そう思う子どももいると思います。ですが一方、この冬の水不足を思い、雨を喜ばれる大人もおられます。神さまは、誰の思いを叶えられるのでしょうか?よくわかりません。教えて下さい。
神さまが、与えて下さる歩みを推し量る事は、難しいことです。それをどうすれば、いつも、受け入れる事が出来るようになるのでしょうか?感謝をもって。神さまが、私たちの益にならない事は、成されない事も、知っています。いつも、良い事だけを、与えて下さっている事も、分かっています。
それでも、「不満」ばかり、湧き出してくるのです。しかし、同じ時・同じ場所・同じ事を経験しながらも喜ばれている方もおられます。どうして、この違いがでてくるのでしょう。それは、「心・思いを、誰の声を聞いて、そして、どこに置いているのか」の違いかもしれません。怒ってばかりの周りの声を聞いていると、私の心も怒ってばかり。しかし、神さまがなさる事を信じて待ち続けるなら、主にある平和と平安があたえられます。その人たちは、神さまによって生きる場所を変えていただいているのです。神さまと共にこの地上を生きているのです。神さまが全ての人を愛した証拠のその独り子の業を信じるならば、特別な事では有りません。再び、神さまの国に迎えられるのです。それ程までに神さまに愛された私たちは、どうすれば良いのでしょうか?
それは、「イエスさまの元に留まる」事です。神さまとイエスさまと教会と一緒にいようと思うならば、私たちの体と思いと祈りの中には、愛の力が溢れ出て来ます。いつも、感謝して生きる、喜びの歩みが与えられるのです。