ペテロの手紙Ⅱ 3章1~18節
高松教会 村上貴志
本日は、永眠者記念礼拝です。先に天に召された、今、神さまとイエスさまと共に、私たちを見守って下さっている方々、祈りによる・信仰による生きた証で、私たちの歩む道を光で照らして下さった方々、そして、私たちをその信仰によって、主と共に導いてくださった方々の事を覚えて礼拝を献げます。
地上での生涯を終えられた方々(眠っている人たち)は、「主が再び来たり給う時」、直ちに起き出し、主と共に喜びの歩みを始めるのです。その時に、信仰者は、朽ちない信仰を受け継ぐ、朽ちない器へと変えられるのです。(コリントⅠ 15章)キリストが、再び来られる時、聖書は、「あらゆる物に打ち勝つ」と、語ります。それは、「死}すら打ち負かすものだと伝えるのです。「キリストによって新しい命が与えられた」と言う事なのです。
再臨の時。全ての人は、主の御前に立たされます。審判の時は、足音も立てずに静かにやって来ます。気が付かないようにやって来るのです。先に召された方は、喜びの中、伝えて下さっていました。私たちは、その方たちの姿・祈りを思い出して、その歩みに、倣いたいと思わされるのです。しかし、自分を見つめると。すぐには、無理だと思えるのです。一年・十年、もっと? 時間が、かかりそうです。
そのような私たちの事を、神さまも待っておられます。「まだ、大丈夫でしょうか?」焦るのならば、さっさと改めれば良いのですが、難しいのです。突然、生まれ変わる事など出来ないのです。祈り、願うしか有りません。
神さまは、待っておられます。全ての人が、救いの恵みに与って、悔い改める者・信じる者へと変えられるのを。その期間。たとえ千年かかったとしても。神さまは、御許に集まられたことを喜んで下さると言うのです。忍耐深く、待っておられるのです。