イザヤ書 55章1~5節
高松教会 村上貴志
聖歌隊とコールフタバのコンサートに、キリストの体である礼拝堂に、沢山の方々が来てくださいました。
礼拝の場に招かれている事を感じていただけたと思います。
「(5節)」まだ神さまを知らない人たちが集められて、その人たちにも大いなる約束が与えられている。
もちろん、神さまの大いなる御計画は、全ての神の創られた民へのものでした。
そのために、「僕は、苦難を受けられる」のです。
この大いなる喜びと恵みを、「耳を傾けて聞け。(3節)」私たちもそのように感じ、高揚するのです。
私の喜びを、知って欲しい。福音(良き知らせ)を、聞いて欲しい。
何も持たない者が、この喜びに与った事を。
救い主である、イエスさまの贖いの業に与った事を。
これは、あなたに対してもの、良き知らせなのだから。
「耳を傾けて、聞いて欲しい!」
いただいた恵みを、共有したいと思うのです。
人は、神さまのおられない・礼拝されない場所においても、十分にやっていけると思っています。
神さまは、どこにおいても、どのような状況に有っても、養ってくださっているのからです。
だから、神さまの前に帰ろうとは、しないのかもしれません。
イザヤは、問います「それが、神の民の歩みなのか?」
神さまに礼拝する事の出来ない世(状況・場所)で、神さまに気付かずに生活する事が。
いや、それは違う。
そこ(世)からは、命の糧は、得られない。魂に平安は、得られるない。
空しいこの世に留まろうとする人たちに、イザヤは、告げるのです。
「主の元に立ち帰れ!救いは、そこまで来ている」
このイザヤの言葉は、「神さまからのとこしえの約束は、救い主である、イエスさま」によって、成し遂げられたのです。
この始まりである、クリスマスに、耳を傾けて聞きたいと思うのです。