ヨハネによる福音書 14章15~24節
高松教会 村上貴志
主イエスは、語られます。
「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。」
互いに愛する事を、教えて下さっています。
しかし、これが「難しい!」のです。
主が、愛して下さったように主を愛し、主の愛された人を愛していく事。
「互いに愛する事」。
それは、主を模範としての「愛による歩み」。これが、難しいのであります。
私の歩みは、「私の思う通りに物事が進むように!」
そのために、他者の言葉や思いを引用するのです。
相手を受け入れずに、相手を愛する事なく、「私の思う通りに」。
この思い、公には、現わせない姿です。
「神さまの思い・イエスさまの思い」では無い。
公に言えないことを、「公」とするために、様々な理由を重ねようとします。
誰か他の人の意見に導かれたような体裁を取る事も有ります。
時に、嘘を混ぜ込むことも有ります。そんな危険性もあるのです。
だから、途中で祈ります。
「悪霊に導かれず、聖霊によって導かれますように」。
その祈りに導かれたとき、思ってもいない方向に進まされることがあります。
「私が、反対した・憤った道へ」と進めという導があるのです。
有り得ない選択です。
しかし、神さまから頂いた「愛」というタラントを、土に埋めるのではなく、用いていく「聖霊の力・働き・導き」は、私を変えるのです。
「怒る者の姿」を、「受け入れる者」へと変えるのです。
「わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。」
キリストの愛を・神さまの導きを拒む者は、虚しい姿に陥るのです。
主は、教えて下さいます。
「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る」
新しい恵みの出発点であります。
それを行う時、私たちは、一人では無いのです。
一人では、出来ない私に、遣わされた聖霊があるのです。主と共に、聖霊と共に、歩むのです。