ヨハネによる福音書 12章12~19節
高松教会 村上貴志
「安らか」と言う言葉。
「穏やかに・成し遂げられた」というような意味で使われます。
『イエスさまは安らかにエルサレムに入城なされた』ラザロの甦りのできごとを知った群衆は、死の世界より甦らせた出来事が神さまからの正統な力を持った方だと受け取り、イエスさまを熱狂的にお迎えしました。新しい王・指導者を与えて下さいと願っていたのです。
イエスさまは、新しい王メシアを待望した民へ思いに応え、ゼカリヤ書の預言通り、平和の象徴であるロバに乗って入城されました。
しかし、群衆は新しい王による力による改革を求めていました。
救い主の姿を見ようとしない。
思いは、異なりました。
そのような民のための十字架の業を前にして、イエスさまは「安らかな入城」をされたのでしょうか?
更に、イエスさまは進まれる道を御存知でした。
イザヤ書53章に記されているような出来事を。
受難と十字架上での出来事。
誰もが思ってもいないような救いの御業でした。
救われる民が、背くことによって、その業が完成するという。
それは、イエスさまの命が、取り去られる事。
イエスさまは、「安らかな入城」を、されたのでしょうか?
救おうとしている民が、背くことによって、成し遂げることができる。
それで、心に平安が有ったのでしょうか?
イエスさまは、入城の数日後、ゲッセマネの園において「父よ、できることならば、この杯を取り除いてください」と、祈られております。
何百年も前のイザヤの時代から、その役割を御存知であったからと言っても、決して「安らか」では、無かったように想像するのです。
しかし、イエスさまは、その使命から逃げる事無く、預言・約束の通りに、平和を与える・神さまと共にいることができるようにされる方として、エルサレムに入城なされたのです。