ヨハネよる福音書 9章35~41節
高松教会 村上貴志
イエスさまは、天地が創られた時から、神さまと共に居られました。
しかし、まだ地上にいる人たちは知らなかった。
その様な時代。人々は皆、苦しみの中にあったのでしょうか?
常に、神さまへの信仰が揺らいでいる。
神さまから離れようとする、罪の縄目に捕えられていたことは、間違いないのですが。
神さまから離れて、恵みと祝福を失ってしまい、困窮し、悔い改めることも多々あったのですが、戻るべき神さまの姿は知っていたのです。
戻ることができるかどうかは、イエスさまが、繋いでくださるまでは、…。その道は、不透明で有ったのですが、…。
ユダヤの人たちは、「神さま」と、祈り願うことは、知っていたのです。
そして、神さまが、憐れみ深く、願い続ける事は、お聞き届け下さる事を、知っていました。
神さまが聞いて下さる事を信じて、掟を守っていました。ユダヤ人たちが、願った事。
「平安な暮らし。」ローマに占領されていましたが、イスラエルには、戦時下の安定が与えられました。
食料も生活も保障されました。信仰も認められました。以前の様に、神殿が破壊される事も無かったのです。
ただ、それは、イエスさまの救いの業抜きの、不完全なものであったので、人の願いによる断続的なものであったので、永遠では有りませんでした。
断続的。欲する時には、祈る。しかし。与えられた後には、続かない。
「再び、神さまから離れる。罪の縄目に捕えられた人の姿」でした。
「神さまへの思いが、繋がり続けるように。」神さまに愛された人の大きな課題です。
「追い出された」神さまの国から、あらゆる恵みから、引き離され嘆きの声をあげる事になるのです。
その様な声をイエスさまは、お聞きになられた。そして、再び、会いに来てくださる。
求める心を持った時。「あなたは、もうその人を見ている。」と、教えて下さるのです。