ルカによる福音書2章21-38節
高松教会 村上貴志
「八日目に礼拝する」これは、私たちの事です。
今から、一週間前。クリスマス礼拝。沢山の方が、来られておりました。そして、世の中のほとんどの人が、クリスマスをイベントとして、守っておりました。しかし、それから一週間。どれ程の人が、イエスさまのお誕生を覚えておられるのか?私たちは、 「忘れる事無く、八日目に、礼拝するのです。」
信じて、…。いえ、信じているからこそ、この礼拝の時を、大切にしたいと思うのです。
イエスさまは、産まれて40日目に、神殿に詣でます。「神さまへの感謝」と「初子の贖いの献げ物」をしに。「全ての人の贖いとなられたイエスさま」このお方も、律法の通り。贖いの儀式を受けられた。 「イエスさまが、贖われた」という事に、不思議な感情を抱くのですが、後に、ヨハネから洗礼を受けられた時には、【マタイ3:15】と、語られております。神の御子であっても、人として、人の罪を負われ歩まれたイエスさまの生涯は、産まれた時から、始まっているのです。
ルカのクリスマス物語。ザカリヤとエリサベツと言う年老いた夫婦が、洗礼者ヨハネをいただく事から始まる。そして、シメオンとアンナ。二人の老人に起こった事。待ち続けた歩みが記される。導かれて。この喜びに達する。逃さずに、幸いを得たのであります。二人の老人の「長い間、待ち続けた」という告白で、終わります。預言を信じ続ける信仰を象徴するのです。
シメオンの讃歌。罪の世界の奴隷からの解放を喜びます。新しい歩みを始めるのです。旧約時代からの解放。新しい時代の始まりを告げる言葉なのです。
アンナの様に、「救いを待ち望んでいる人々皆に幼子の事を話す」喜びと幸いの一年を始めたいと思います。