使徒言行録 18章18-28節
高松教会 村上貴志 パウロは、報告のためエルサレムへ戻ります。伝道の旅を続けたい気持ちは、有ったでしょう。18章10節では、神さまが「そこで語り続けよ。主が共にいてくださる。誰も危害を加えない」と約束して下さっていました。(騒乱に巻き込まれる事が多かったのに)安心して働けたのに、導かれるままに新しい行動に移るのです。人の思い出は無く、「導かれるまま」にです。パウロ自身の思い(忸怩たる思いは無かったのか? 心残りでは無かったのか?)を捨てて、働きの一区切りをつけ、感謝し、剃髪します。 その感謝は「新しい喜び・未来・伝道の業の展開」を、信じる思いに繋がるのです。事実、帰還の途中にも、大いなる喜びを見ます。エフェソ伝道です。16章6節で、「聖霊によって、すぐに行く事を禁じられていた場所」でした。その場所に導かれ、直ちに会堂で、「神さまの新しい約束・イエス・キリストの十字架の御業」を語る事がゆるされます。 舌が重いパウロの働きを、アキラとプリスキラが、サポートします。そして、エフェソを彼らに任せて旅立つのです。皆さんが、必要な語り部を残しては行きますが、「神さまの御心ならば、また戻ってきます」と、パウロは、伝えます。「行かないでほしい」この希望に対して、絶望で報いる事は無いのです。 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(マタイ7:7)このイエスさまの言葉を、別れの教えとするのです。 アポロについて。パウロとは異なる賜物・伝え方。 違いが有っても、福音は、変わらない。 アポロのように、上手に丁寧に教えらなくとも、 私たちの言葉も、「神の御心ならば」いえ、それは、確実でありますから、必ず伝わるのです。救いの御言葉は、必ず周りに伝わる事になっているのです。
高松教会 村上貴志 パウロは、報告のためエルサレムへ戻ります。伝道の旅を続けたい気持ちは、有ったでしょう。18章10節では、神さまが「そこで語り続けよ。主が共にいてくださる。誰も危害を加えない」と約束して下さっていました。(騒乱に巻き込まれる事が多かったのに)安心して働けたのに、導かれるままに新しい行動に移るのです。人の思い出は無く、「導かれるまま」にです。パウロ自身の思い(忸怩たる思いは無かったのか? 心残りでは無かったのか?)を捨てて、働きの一区切りをつけ、感謝し、剃髪します。 その感謝は「新しい喜び・未来・伝道の業の展開」を、信じる思いに繋がるのです。事実、帰還の途中にも、大いなる喜びを見ます。エフェソ伝道です。16章6節で、「聖霊によって、すぐに行く事を禁じられていた場所」でした。その場所に導かれ、直ちに会堂で、「神さまの新しい約束・イエス・キリストの十字架の御業」を語る事がゆるされます。 舌が重いパウロの働きを、アキラとプリスキラが、サポートします。そして、エフェソを彼らに任せて旅立つのです。皆さんが、必要な語り部を残しては行きますが、「神さまの御心ならば、また戻ってきます」と、パウロは、伝えます。「行かないでほしい」この希望に対して、絶望で報いる事は無いのです。 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(マタイ7:7)このイエスさまの言葉を、別れの教えとするのです。 アポロについて。パウロとは異なる賜物・伝え方。 違いが有っても、福音は、変わらない。 アポロのように、上手に丁寧に教えらなくとも、 私たちの言葉も、「神の御心ならば」いえ、それは、確実でありますから、必ず伝わるのです。救いの御言葉は、必ず周りに伝わる事になっているのです。