ヨハネによる福音書19章31~42節
高松教会 村上貴志
十字架の上の、イエスさまは、すべての事を成し遂げられ、聖書の言葉を実現されました。
そして、その息・霊を神さまの御手に委ねられました。
この日は、準備の日であったと記されています。
神さまが、天地を創造されたように安息日の前日に、全てが成し遂げられたのです。
イエスさまは、この神さまが、全てをお造りになられ良しとされたこの日に、神さまの御手に委ねられたのです。
申命記21:22-23、出エジプト記12:46、ゼカリヤ書12:10、神さまの約束された通りの事が起こります。
救いの完成。神さまは、「憐れみと祈りの霊を注ぐ」と語られます。
背いた者たちに「憐れみと祈りの霊を注がれた」のです。
十字架の業によって、神さまの大きな思いが、地上に現されたのです。
それは、新しい恵みと祝福の始まりという事です。
信じる者に、「キリストの血による贖い。聖餐。悔い改めのしるしとしての水による洗礼」が、与えられたのです。
霊の導きにより、新しい世が明らかにされたのです。
その時。大きく変えられる者が、直ちに現れました。
その祝福は、何百年も待つ事なく、直ちに現れたのです。
「証しする者」が現れました。
隠れていたヨセフ・ニコデモが葬りのために奉仕した。
惜しみない献身のしるしを献げました。
キリストより湧きいずる霊の導きによって、立てられ証しする者が与えられたのです。
この信じる力が与えられた時、必要としている事が備えられました。
ここで備えられた人たちが、求めていた事。
愛するイエスさまの葬りの場所が、備えられたのです。
信仰者が、神さまのために成そうとする事は、必ず成し遂げられるのです。
イエスさまの葬りの時。
その事が、明らかとされたのです。